OHANA通信vol 10 年越し蕎麦
🌺ALOHA E KOMO MAI🌺
OHANA接骨院のいんちょ白石です🏝
12月28日土曜日の診療中に患者様と盛り上がった年越し蕎麦とは?について調べてみました。
記念すべき10個目のブログになります。ここまで読んで頂いた患者様や読者の皆様に感謝致します。
年末年始の白石一家は長野にいます。長野はみやこちゃんの故郷なんです。現在(令和元年12月30日)は戸倉上山田温泉♨️にいます。明日は湯田中上林温泉に行きます♨️蕎麦処長野、明日は当然蕎麦屋かと思いきや義母からラーメン屋に行くよと言われて笑ってしまいました。サスガ義母美智子様🤣
OHANA接骨院の年始は1月6日月曜日から通常診療いたします。1月3日金曜日には毎年恒例の餅つき大会を行います。雨天中止です。会費無料で飲み物持参でお願いします。開催時間はみやこちゃんが起きてから餅つきに飽きるまでですよ😁😁
ここから四方山話…
皆さんも12月31日になると年越し蕎麦をお食べになると思いますが、何故?蕎麦なのか、いつ食べるのか、歴史は?調べてみました。
年越し蕎麦とは12月31日(大晦日)に縁起を担いで蕎麦を食べる習慣のことを言います。大晦日に年越し蕎麦を食べるという風習は江戸時代から定着したとされています。蕎麦は長く伸ばして細く切って作る食べ物なので細く長くということから「健康長寿」「家運長命」などの縁起を担いで食べるようになったのが起源であるという説が一般的です。蕎麦は関東、うどんは関西というイメージがありますが、信州から江戸へという蕎麦の流通ルートが早くから確立したため、蕎麦の文化は江戸で開花しました。江戸っ子の蕎麦好きは有名な話しです。有名な古典落語の「時そば」の舞台も江戸ですよね。
地方によってはうどんを食べたり、蕎麦は元旦に食べるというところもあります。
長生きといえば、蕎麦に含まれる代表的な栄養素に「ルチン」(以前はビタミンP)があります。毛細血管の壁を強くする作用がある、高血圧を予防すると言われています。ルチンは水溶性なので、蕎麦を食べる時にはルチンが溶け出している蕎麦湯を飲んだ方がいいとされてきましたが、現在では、蕎麦のルチンはほとんど溶け出してないことがわかってきています。
さて。年越し蕎麦には、他にも諸説があり、他の麺類よりも切れやすいことから「今年一年の厄災を断ち切る」という意味もあるのだそうです。
年越し蕎麦は、江戸時代から庶民の間に定着した食習慣である。鎌倉時代、博多の承天寺で、年の瀬を越せない町人に、「世直し蕎麦」と称して、蕎麦餅を振る舞ったところ、翌年からみんな運気が向いてきたため、大晦日に蕎麦を食べる慣しが生じた。室町時代、関東三長寿の一人、増渕民部が、大晦日に無病息災を祝い、家人共々「そばがき」を食べたのがおこり。蕎麦切りは、長くのびるので、延命長寿や、身代が細く長くのびるようにと願う形状説。逆に蕎麦は切れやすいから、旧年の労苦や災厄を、きれいバッサリ切り捨てようと「縁切り蕎麦」「年切りそば」を食べた。金銀細工師が散らかった金粉を寄せるのに蕎麦粉を使うため、金を集める縁起で始まった。「本朝食鑑」に「蕎麦は気を降ろし腸をゆるくし、よく腸胃を整える」とあり、新陳代謝により体内を清浄にして新年を迎えるという、蕎麦効果説。蕎麦は少々の風雨に当たっても、翌日、陽がさせばすぐ起き直る。それにあやかって、来年こそはと食べる説。
面白いのは、年越し蕎麦の起源として、「そば餅」を振る舞ったとか、「そばがき」を食べたと書かれたものがあることです。これは、蕎麦切りが食べられるようになるより前の時代の出来事と解釈することもでき、ある意味、この説の信憑性にちょっぴり重みを加えたりしています。しかし、「諸説ある」ということは、言い換えれば、「よくわからない」ということでもあるのです。起源についての諸説というものは、あとの時代に作って、こじつけられることも多く、これが本当の由来なのだと言い切ることは、なかなか難しいのです。これ以外にも、年越し蕎麦の起源についての説は、いろいろありますが、それらを調べていくと、どの説にも共通する、似通った部分があることに気づきます。それは、年越し蕎麦を食べる理由として、多くの場合「蕎麦を食べると幸せになれる」という縁起に結びついている点です。縁起とは「前触れ」のことです。つまり「蕎麦」は「幸せ」の前触れです。「蕎麦」を食べると、そのあとで、「幸せ」が訪れるのです。
日本での歴史に初めて蕎麦が登場するのは、養老6(722)年に発せられた元正天皇の詔(みことのり)です。その内容は、今年の夏は雨が少なくて稲の実りが悪いので、蕎麦や大麦、小麦を植えて、飢饉に備えなさいということでした。つまり、蕎麦は初めて歴史に登場したその時から、飢えに直面した人々を救済する役割を担った食べ物だったのです。蕎麦が人に幸福をもたらすという考え方を、多くの人が信じるのは、人々が困難に直面したとき、蕎麦が助けてくれたという出来事が、長い歴史の中で何度も繰り返されてきたからだと思います。蕎麦が飢饉に困窮する人々を救う切り札として、興味深い提案をしたのが、江戸後期の蘭学者、高野長英でした。蕎麦研究家であった新島繁さんによると、高野長英は、天保7年(1836)に著した「救荒ニ物考」の中で、播種してから約50日で熟して、一年に3回収穫できる早熟な蕎麦について詳しく記しているそうです。一年に3回収穫できるこの蕎麦を栽培して、備蓄しておけば、食料に余裕ができ、大きな飢饉になっても対応ができる。この蕎麦は天下の宝であると書いているのです。高野長英が、これを書いたのは、まさに天保の大飢饉の真っ最中でした。冷害や長雨などの異常気象が続いて作物が実らず、飢餓で村が全滅するような惨状が日本各地に広がっていました。荒れた大地に蕎麦の種を蒔いた人々は、どんな思いでその成長を見守っていたことでしょう。これによって命を繋ぐことができた人も少なからずいたはずです。辛うじて飢饉を乗り越えた人々が、いつかまた蕎麦を食べた時、蕎麦はまさに人に幸せを運んでくれる食べ物だと、心の底から思ったことでしょう。だから東北地方の古い農家の天井から、飢饉の時の非常用食料、非常用種子として俵に詰めた江戸時代の蕎麦が発見されたりするのです。蕎麦は人知の及ばない災害に見舞われた時の、一家の守神ともいえる存在だったのです。蕎麦とはありがたいものだと、親は子に伝え、子は孫に伝えたに違いありません。このような蕎麦と日本人との特殊な関係が根底にあって、蕎麦を食べると幸せになれるという考え方が、人々の心の中に根付いていったのではないでしょうか。一年の締めくくり、あるいは初めに、人々は幸せの象徴である蕎麦を食べながら、これまでの無事を感謝し、これからの年の幸福を願ったのです。年越し蕎麦の由来については、いろいろな説がありますが、これ以上は思想が強くなり過ぎてしまう為終わりにします。
年越し蕎麦と「晦日蕎麦」
老舗の蕎麦店のご主人のお話では、つい最近までは、毎月、月末にみんなで蕎麦を食べる習慣が、日本にはあったそうです。その名は「晦日蕎麦」(みそかそば)といいました。毎月の最後の日を「晦日」といいます。そして一年の最後の日が「大晦日」です。この大晦日に「晦日蕎麦」を食べる習慣だけが、年越し蕎麦として残り、毎月食べる「晦日蕎麦」は忘れられてしまったのです。蕎麦は美味しいし、健康にも良いし、何より幸せの前触れです。こんな素晴らしい食べ物を、年越しに食べるだけで終わらせてしまってはもったいないですね。是非、月末にも、年越し蕎麦ならぬ月越し蕎麦の「晦日蕎麦」を召し上がって下さい。そして毎月幸せになりましょう。蕎麦は患者様や読者の皆さんに一年に12回幸福を運んできてくれるに違いありません。ちなみに、埼玉県八潮のあたりに毎月最後の日に晦日蕎麦しかも食べ放題でやっている店があります。 店名は和食麺処サガミ。1690円で食べ放題です。ざる蕎麦に天ぷら付きです。僕は10枚食べました。みやこちゃんは4枚、聖馬も4枚でした😁
年越し蕎麦の具材にも意味があるようです。海老天は腰が曲がって見えることから長寿のシンボル。紅白かまぼこはめでたさの象徴と半円型が初日の出のイメージ。卵焼きや伊達巻は黄色は金色に通ずるところから縁起がいいもの。伊達巻は巻いてあるところから反物を連想させ、着るものに困らない、繁栄、繁盛の願いが込められているとされます。油揚げはお稲荷さんで商売繁盛の神様とされます。ニシンはニ親という読み方ができる。二人の親から子沢山ということで子孫繁栄だそうです。
年越し蕎麦は除夜の鐘を聞きながら、1月1日になる前に食べ切らないと金運や健康運が下がり縁起が悪いようです。なんとしても大晦日のうちに食べ切って下さいね👍🏽
それでは皆さん今年はありがとうございました😊来年もよろしくお願い致します😁良いお年をお迎えください✌🏽
OHANA接骨院いんちょ mahalo🏝